こんにちは。海外遊牧民のイルカです。
私は今、ネットさえつながれば、どこででもできる仕事を、主に夫の手伝いをする形で、ちょこちょことやっているのですが、ここまでくるのには長い道のりがありました。
フリーランスというか、ノマド・ワーカーになれたのは、ごく最近のことです。
いわゆる「会社員・フルタイムワーカー」というのをやっていると、何か理不尽なことが起こったときに、「ノー!!!」とはっきり言うことがなかなか難しいですよね。
辞めたら、次があるのかどうかも、やっぱり心配になってしまうし。。。
それに家族がいたら、なおのこと。
私は、自分の信念のようなものを曲げたくなくて、嫌なことはやりたくないタイプなので、元々会社勤め、というのは合わなかったんだと思います。
最初にそれを意識したのは、新卒で入った会社ででした。
今日は、「いつでもノー!と言える選択肢をもって、会社にしばられず、自由に仕事をすることの素晴らしさ」みたいなことをお話ししたいと思います。
新卒後入った会社が今でいうところの「ブラック企業」だった
私は新卒後、入社した会社が、いわゆる「ブラック企業」でした。
シフト制だったので、お昼頃出社しても、終わるのは夜中の2時か3時といった具合。
朝出勤しても、夜中の10時か11時頃終わるといったことも少なくありませんでした。
そして、休みが12日間ない、なんてこともざらでした。
どう考えても、つじつまのあわないことをしているのに、なぜか社員にしわ寄せがきている会社だったのです。
私がその会社に決めたのは、働いてる先輩がみんな素敵だったこと、同期たちと仲が良かったこと(入社前に九州旅行に行くくらいでした)だったのですが、
会社が完全にその人々の人の良さみたいなのを利用して、なるべくアルバイトを多くして、少ない社員で長時間働かせていました。
接客対応も大事な要素だったので、みんな人当たりの良い、ニコニコした人たちで、そういう人たちと働けるのは、ある種、幸せなことではありました。
お給料はまあまあよかったし、住宅補助などもついていたのですが、いわゆる「残業代」というものをつけさせないように監視されていたので、割にあわないと嫌気がさしていました。
一度すごく頭にきて、残業代を少しつけたら、新卒なのに月のお給料が30万を超えてしまって、びびりました。(笑)このときは、さすがの支店長も何も言いませんでした。
でも本来なら、これくらいもらえるほど、働かされてるんだよなぁと思い知りました。
私が配属されたのが、たまたま赤字店舗だったので、他の同期より状況がひどかったらしいです。
支店長が、新規獲得の数字ばかり追いかけていて、既存のお客様の満足度が低く、どんどん退会していくのに、新規の顧客ばかりを気にしていたのです。
数字のノルマがあったから、何も考えずにそうやっているようでした。
この時も、他の店舗で働く同期の子たちが心配して、電話をかけてきてくれたり、「こっちで買った備品を送ってあげるよ〜」と言ってくれたりと、
みんな優しかったし、仲良かったので、本当は辞めたくなかったのですが、もう限界という感じで、1年で辞めてしまいました。
そのとき、「あーもう、会社の奴隷にはなりたくないなぁ」と思ったのでした。
そのあとは、お給料の低さに悩まされる
そのあとは、学生の頃からアルバイトをして出入りしていた、大学のゼミの先生が別にやっていた小さな研究所に勤めました。
政府やシンクタンクの下請けリサーチみたいな仕事が多かったです。
政府から補助金をひっぱってきた研究・報告書作成みたいなのもやっていました。
ここの仕事は、同僚も元同級生で、一緒に中国研修旅行とか行って、気心しれていたし、いわゆるフレキシブル制で、基本的にいつ行って、いつ帰っても良かったので、とても働き心地がよかったです。
あとは、先生が私の書いた報告書を真っ赤になるまで、添削してくれたので、このとき書くこと・考えを図面にまとめること、などの基礎的なスキルがついた気がします。
このときは、「あーこんな硬い文章じゃなくて、もっと自由に書きたい〜」などと贅沢なことを思っていましたが、添削してもらえるのってありがたいことですよね。
あとは、その同僚がプレゼンするための、パワーポイント作りなんかも、たくさんしました。
忙しくなると、徹夜して事務所で仮眠だけ取る、なんてこともありましたが、そういうのはあまり辛くはありませんでした。
次々と新しい面白い仕事が入ってくるし、暇なときは同僚とバカ話もできて、のんびりと報告書を作れましたし、おおむねそこで働けることを気に入っていました。
ただ、ひとつ問題点がありまして、「お給料が遅れに遅れて、こないことの方が多かった」のです。
これは、ひとえに、先生が根っからの研究者であって、経営者ではなかったことに原因があったと思います。。。
本当に、尊敬する先生だったのですが、お金のことには無頓着でした。仕事帰りにたいてい、どこかでごちそうになっていたのですが、それがお給料代わりといった感じでした。
私たちは「これじゃあ、将来はやっていけないよな。今は修行期間だと思えばいいし、実家に住んでるからお金もあまりかからないけど、どうしよう?」と言いあっていました。
結局私は、台湾に短期留学に行くことにし、同僚は働きながら大学院に行くことにしました。
研究所で働くなら、修士は持っているのが普通だったからです。
私も「ここで働きながら、大学院行く?」と先生に聞かれて、社会学って面白いし、興味はあったのですが、先に同僚にゆずりました。
2人も同時に学生だと、研究所のほうも困ると思ったのです。
でも結局は、彼の大学院卒業を待つ前に、台湾へと旅立ってしまったのでした。
(ちなみに、台湾留学中に、ふと銀行口座をのぞいてみると、3ヶ月分のお給料がふりこまれていました。すっかりあきらめていたので、嬉しかったです(笑)
その後も、日本語教師、シェフ、編集者アシスタント・ライターなど、低い時給で長時間働くはめに
そして、その後も私は、低い時給で働くことを余儀なくされました。
海外でもシェフやベーカーは重労働で、25キロの小麦粉とか、30キロのチョコレートとかを運ばないといけないので、腰もすっかりやられてしまいました。
朝、4時起きというのも辛かったです。。。真っ暗い中を車で出勤して、仕事が終わらないとそのまま17時ぐらいまで働いていました。
でもまだ専門学校を卒業した頃は「永住権」にこだわっていたので、ベーカーは大変そうだと思いつつも、就職活動をして、そのお店にもぐりこめた感じでした。
永住権をサポートしてくれる地元では有名なお店だったので、チャンスを逃したくはありませんでしたが、オーナーが意地悪だったのもあり、さっさと退散しました。
ニュージーランドでのんびりと暮らそうと思ってきたのに、全然そんな生活ができていませんでした。本末転倒といった感じです。
あと、日本語教師とかライターとかは、家での準備が半端なく時間がかかる上に時給が安いので、面白かったのですが、これも結局途中で辞めました。
これも時給換算すると何百円の世界となってしまう計算です。
これなら、大学生のときにしていた家庭教師のほうが、全然時給が高かったです。
幼馴染みのお母さんがなぜか営業のように仕事を取ってきてくれて(笑)どこにも属さず直接教えていたので、2500円ぐらいもらっていましたから。
私は、夫がいて稼いでくれていたので、日本語教師とかライターの仕事も、「面白そう」とチャレンジできましたが、独身でがんばっている子たちも多く、なんとかならないものだろうか?と感じていました。
これは自分でフリーで働いたり、チームを作って投資したりした方が、納得できるなと判断して今に至ります
そうして、優秀なチームを組んでもらえればできる大家さん業と、いくつかのWebサイト運営を自分たちでやることにして、今に至ります。
はぁ、長かった!(笑)
今は、自分のペースで働けて、とても幸せです。
ただ、意外なところで、外で働いた経験というのも活きてくるので、安いお給料ながらも色々と勉強させてもらった!と思いもします。
というより、もし新卒で居心地のいい会社にいたら、まだその会社にいたかもしれません。
あのとき、あんなひどい働き方を強いられたので、今の自由な働き方を選ぶきっかけになったのだな〜〜と思います。
私は、元々高校生の頃から編集者志望で、だから社会学部に行ったのですが、ときは不況の嵐で就職難だったのもあり、早々に諦めて他の業界へ就職しちゃいました。
でもあのとき、万が一、難関を乗り越えて、やっと編集者になれたとしても、やっぱり激務で旅行にもいけずに、早々に退社していたかもしれません。
そう考えると、あとでライターになれたし、まっいっか〜〜という感じです。ただ、仕事については、激務で身体をこわすということを繰り返したので、それだけが残念です。
でも私が若い頃は、まだまだ自由に働くっていう選択肢が見えていなかったんですよね〜〜
ブログとかもなくて、HPだけだったし。それで、お金がはいってくるなんて思いもしませんでした。
不動産投資なんて、ぜーんぜん考えたこともなかったし。旅行のことばかり考えていました、今から思うと。
だから、トラベル・ライターになりたいなぁとひそかに思っていたぐらいです。
まとめ
今、会社で色々とノーと言えずに働いている方がいらしゃったら、私のように身体を壊すまで働かないで下さいね。
それで、小さく副業をはじめて、そちらで生活できるようになるまでは、ふんばってみてください。
副業がしやすい、という観点から見て、職場を派遣さんとかに替えてみるのも、ありだと思います。
(ただ、不動産投資を自分で融資をひいてやるとなると、やっぱり正社員が強いことになると思います)
長い道のりにも思えますが、一歩一歩進めば、必ず前進していきます。
みんなで一緒に自由な働き方を叶えていきましょう!(^^)



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